先日、コンビニの横でジュースを飲んでいると、お巡りさんが自転車で現れ、カギをかけてコンビニへ消えた。何とはなしにその自転車を見ると、左のハンドルに見慣れぬスイッチがある。そのスイッチからケーブルが下の方へ続いている。サドルを支える本体フレームの下部に白いパックがあり、そこへつながっている。そのパックには「Panasonic」とある。
そう、お巡りさんが乗っているのはパナソニックの電動アシスト自転車なのだ。
画像Source:
シーバス電脳日誌 / 皇居二重橋、警視庁は電動アシスト自転車を採用していた
街中ですれ違うお巡りさんが乗っている自転車に特に気を付けたこともなく、初めてそれを知って、「へーっ」とつぶやいた。そこに買い物袋を提げた若いお巡りさんが戻ってきた。
話しかけるべきかどうかちょっと迷ったが、「電動自転車なんですね?」と訊く。
街中で赤の他人に声をかけ、その人から返事が戻ってくるまで否応もなく待たなければならない時間の2倍以上の間があいた。多分、こちらの値踏みをしていたのだろう。敵意のなさを確認し、一般市民の興味本位の質問に答えるべきかどうかの判断を行った後、こちらを射るような目線が動かずに口が開いた。
「使ってませんけど」
筆者は、白いパックを指さしながら、「電動自転車ですよね?」と再度聞く。
もう一度、不慣れな間が差し挟まった。自分の意図が伝わらないもどかしさと、興味本位の一般市民のしつこさに辟易するとでも言いそうな口がようやく開いた。
「ベテランの人は使いますが、私は使っていません」
「ああ、そうですか」
これで2人のぎこちない会話は終了した。買い物袋を自転車の白箱に入れると物も言わずにお巡りさんは去って行った。
街中でお巡りさんが一般市民から声をかけられることはないのだろう。突然、声を掛けられて一般的な、普段の「会話」を始めることはないのだろう。顔見知りクラスの会話を一般市民も期待しないが、警察官はもっと期待していないのだ。
以前、英国、ノース・ヨークシャー警察のEd Rogerson巡査がTwitterを使っていることを取上げた。彼が担当する地域の人々と、例えば「天気」「知り合いの近況」「食べ物」「野良猫」といった日常会話を交わし、育み、地域に根付いていると感じさせるエンゲージメントを行っていた。
参考:
Police 2.0 (Online Ad 2009/11/26)
参考:
US Twitter Detailed Stats (2010/5/12)
筆者が言葉を交わしたお巡りさんとEd Rogerson巡査の違いは、「会話」だ。「会話」は情報やコンテンツのやり取りでもあり、会話者同士が自身をよりよく知ってもらうことにつながる。そこから事件や事故の捜査に役立つ情報を仕入れたり、協力してもらうことができる。
翻って日本企業のグローバルな「会話」は、Ed Rogerson巡査はもちろん、電動アシスト自転車のお巡りさんよりも成立していない。
ソーシャルメディアが喧しい昨今、日本のグローバル企業はBlog、YouTube、Twitter、Facebook、果てはARやUstまで、最新ツールを駆使してニュース・情報を発信している。が、「もっと期待していない」と書いた警察官よりも「会話」は成立していない。
その理由は2つある。
ひとつは、日本のグローバル企業が行っているのは、世界各国の現地法人、グループ企業、そして本社の他部門との間の会話でしかないからだ。これは、自社内での情報共有であり、顧客やユーザとの会話ではないからだ。
例えば、電動アシスト自転車のパナソニックのTwitterアカウントが発信しているTweetのうち、36%は自社関連アカウントのTweetをRTしている。
もうひとつ、こちらはSony USAのTwitterアカウントの場合、Tweetの31%は自社関連アカウントのTweetをRTしている。
Source:
TweetStats.com
自社関連TweetのRTがかなりの比率を占めるのは、日本企業に限った話ではない。が、その比率が30%を越え、オンラインメディアやThought LeaderのRTがないに等しいのは日本企業の特徴だろう。Content Curationを考慮していないのが日本企業のTwitter発信だと言うこともできる。
もうひとつは、日本企業に特有の理由だ。それは社員・担当者が見えないことだ。Samsungであれば、SamsungEstebanがいるし、KodakであればJennifer Cisney、FordであればScottMonty、CiscoならLaSandraBrill、IBMならSandy Carterがいる。しかし、日本のグローバル企業には、米国企業の彼らに匹敵するような人々がいないように見える。少なくとも、CiscoのCTO、Padmasreeのように140万人近いフォロワーを抱えている人間はいない。
組織として、顧客やユーザと会話するには企業アカウントだけではなく、社員・担当者が顔を見せて会話をリードしたり、補足する必要がある。個人としての幅や面白さ、ウィットを会話に追加することで信頼を得る必要がある。プレスリリースだけで会話などできるわけもなく、この点で日本のグローバル企業は一歩も二歩も遅れている。
お巡りさんとのぎこちない会話であっても、顔は見えた。居心地の悪さを双方で感じながらも情報のやり取りはできた。
しかし、村内の会話を村民を見たこともないそれ以外の人間に聞かせるのは、あるいはその話を共有してもらうのは至難の業だ。また、自分の言いたいことだけ、聴いてもらいたいことだけを話し、こちらの話に相づちをうつこともなく、そういえばと新聞に載っていた「なるほどとうなづける」話から会話を広げることもない村人と会話は成立しない。
とどのつまり、今までの会話、マーケティングコミュニケーションを最新のツール、サービスを使ってしているだけだ。
マインドセットを変えない限り、グローバルスタンダードで競合してゆくことなど夢のまた夢でしかない。