昨年、12月31日、NHKの紅白歌合戦に出場し、「I dreamed a dream」を歌ったSusan Boyleは、「Britains got talent」予選会での歌唱からはほど遠く、憑き物が落ちたかのようにのっぺりとした歌声を響かせただけだった。
FacebookにあるSusan Boyleのファンページは、177万のファンがWallに書き込めず、資本側のコンテンツを消費するだけのコントロールされたスペースになっている。
SusanBoyleMusicには30カ国のインタフェースが用意され、ギャラリー、フォーラムなど一部ではユーザコメント、コンテンツがアップされてはいるが、Susanとのやり取りを行うスペースではない。
SusanBoyleMusicからリンクされ、ユーザコメントを受けているBebo、MySpace、YouTubeにしても、すべて売らんかなのスペースだし、Twitterは、スーパーの安売り広告チラシ的なメッセージのオンパレードだ。
Source:Facebook / SusanBoyle
Source:SusanBoyleMusic.com
ユーザがイニシアティブをとったソーシャルメディアスペースではコンテンツが消費、共有され、Madonnaの84%程度の露出を獲得しているのは昨年、「Social Media Power」でみた。
参考:Social Media Power (Online Ad 2009/12/29)
Susan Boyleが誕生したのは資本側コンテンツであり、コントロールする、できるTVで、その後、資本側がターゲットとする消費者をソーシャルメディアスペー スでコントロールしようとしている。しかし、資本側がコントロールするスペースにおいてコンテンツが消費、共有されているとは見られない。
また、Susan Boyleという唯一無二のコンテンツを資本側が毀損している。オープンで対等、双方向の対話でのみ培われるエンゲージメントがなく、枠をはめたコンテンツ提供を続けることで、コンテンツ自体のクオリティが失われている。
企業・ブランド側は、今まで使ってきたメディアをソーシャルメディアに変更し、そのスペースにおいて情報発信しようとしている。が、レガシーメディアで長年行われてきた同じメッセージを同じ形で配信しても、期待する効果、結果からはほど遠くなるばかりだ。加えて、ユーザの手にゆだねるべきコンテンツの制作、配信、消費、共有、再露出を自ら行うことで、共有されるべきコンテンツを損ない、価値を減じている。
固定観念を払しょくし、転換しなければ何も産まれないどころか、自損、自壊、自死してしまうのはSusan Boyleだけではない。
なお、追っかけや、住居侵入などリアルなリスクが彼女を追い詰め始めている今こそ、資本側が心を砕くべきは、売れるときに売れるだけ売るといった話ではないはずだ。「角を矯めて牛を殺す」過ちが砕きかねないガラスでできたSusanの心は、いつまでもつのだろうか?
Source:DailyRecord / Susan Boyle gets panic alarm after finding intruders in her back garden
参考:Susan Boyle - Final (2009/06/01)
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