FacebookにあるSusan Boyleのファンページは、177万のファンがWallに書き込めず、資本側のコンテンツを消費するだけのコントロールされたスペースになっている。


Source:Facebook / SusanBoyle
Source:SusanBoyleMusic.com
ユーザがイニシアティブをとったソーシャルメディアスペースではコンテンツが消費、共有され、Madonnaの84%程度の露出を獲得しているのは昨年、「Social Media Power」でみた。
参考:Social Media Power (Online Ad 2009/12/29)
Susan Boyleが誕生したのは資本側コンテンツであり、コントロールする、できるTVで、その後、資本側がターゲットとする消費者をソーシャルメディアスペー スでコントロールしようとしている。しかし、資本側がコントロールするスペースにおいてコンテンツが消費、共有されているとは見られない。
また、Susan Boyleという唯一無二のコンテンツを資本側が毀損している。オープンで対等、双方向の対話でのみ培われるエンゲージメントがなく、枠をはめたコンテンツ提供を続けることで、コンテンツ自体のクオリティが失われている。
企業・ブランド側は、今まで使ってきたメディアをソーシャルメディアに変更し、そのスペースにおいて情報発信しようとしている。が、レガシーメディアで長年行われてきた同じメッセージを同じ形で配信しても、期待する効果、結果からはほど遠くなるばかりだ。加えて、ユーザの手にゆだねるべきコンテンツの制作、配信、消費、共有、再露出を自ら行うことで、共有されるべきコンテンツを損ない、価値を減じている。
固定観念を払しょくし、転換しなければ何も産まれないどころか、自損、自壊、自死してしまうのはSusan Boyleだけではない。
なお、追っかけや、住居侵入などリアルなリスクが彼女を追い詰め始めている今こそ、資本側が心を砕くべきは、売れるときに売れるだけ売るといった話ではないはずだ。「角を矯めて牛を殺す」過ちが砕きかねないガラスでできたSusanの心は、いつまでもつのだろうか?
Source:DailyRecord / Susan Boyle gets panic alarm after finding intruders in her back garden
参考:Susan Boyle - Final (2009/06/01)
0 件のコメント:
コメントを投稿