Alex Iskold Technology BlogでPodcast/Podcastingを考察している。
プロ制作のコンテンツ、放送局による放送番組選択、ブロードキャストというラジオと、ユーザが生成するコンテンツ(UGC)、ユーザの聴取選択、オンデマンドというPodcastとの対比から始まり、ブロードバンド化によりサイズの大きいオーディオファイルを取り扱うことに障害はなく、2004年にPodcastingが登場したとき、多くの人々が飛びつき人気を博していたと分析している。
しかし、近頃、この熱狂も冷めたようだとしてGoogle Trendsで検索実績を比較している。
Podcast、Video、Blogでの検索実績トレンドを見ると下のようにPodcastは2004年Q4以来、低空飛行を続けている。(注:Alex IskoldのBlogではPodcastingを含めPodcastとVideo、 Blog、Podcastingと3つの図を使って比較している)
Podcastの不運は、オンラインビデオ、Blogと競合しなければならない点だ。ビデオはクールで、短く、オンデマンドで消費でき、五感に訴えられるが、音楽以外のPodcastは会話、議論、演説などを集中して聞き取らなければならない。だから仕事をしながら聴取できる音楽とも競合できない。
Nielsen BuzzMetricsでVideo、Blog、Podcastを比較しても、Podcastは地を這うような状況だ。(注:Alex IskoldのBlogではPodcasting、Podcasts、Videoを比較している)
Blogが脅威だ。Blogは拾い読みができるが、Podcastは拾い聴きができない。Webページを読むことには慣れているが、長時間の議論をビジュアルなしで聴取することには慣れていない。ラジオコンテンツの大半は音楽、あるいはニュースであり、Podcastのコンテンツおよびフォーマット自体、ユーザに適応してもらう垣根がある。
次に、利用の制限、困難な資金化、大手メディアとの競合などを続けて結論を出している。
Podcastは人気が回復する兆しはないし、Podcastingも現状下り坂を下っている。ビデオやBlog、既成メディアとの熾烈な競合、そして明確なマネタイズ方式の欠如により、Podcastingに人々が飛びつく十分なインセンティブがない。が、Podcastが存在できないというわけではない。
Podcastのおかけで既成メディアが提供するコンテンツと、個人が提供するコンテンツを選択する権利が与えられ、既成メディアはユーザのニーズに則した形でコンテンツを提供せざるを得ない。その結果、ユーザが望むときに、どこにいてもコンテンツを消費することができるのだ。
ビデオほど人気にならないとしても、Podcastに何が次に起ころうと、実際に出現したものだということ自体が重要だ。大きな波になってはいないとしても、意味のある波として、と締めくくっている。
Source:
The Editors Weblog /Podcast use stagnatesSource:
Alex Iskold Technology Blog / Will Podcasting Survive?彼の結論は、Blogやビデオを前にすると音楽以外のPodcastは死期が近いと聞こえてくる。
インターネットが一部の人間にだけ利用されていた昔からすると、そのリソース、コンテンツは11億人以上のユーザに解放されてきてはいる。ユーザ自身がメディア化することで、様々な自己主張、コンテンツ制作が行われている。その中で、表現のひとつとしてあるPodcastが生き残るには、マルチタスク環境でコンテンツを消費するユーザにアピール、訴求することが必要だ。しかし、マルチタスク環境では音楽以外の集中が要求されるPodcastに存在感はないし、訴求力もないように見える。
以前、一時期日本の車メーカーの社長のスピーチがPodcastで提供されており、なぜビデオではなく、Podcastなのかと疑問になったことがある。以降はビデオで提供されているが、それが再度、Podcastで提供されることはないし、検討されることもないのだろう。
音楽以外と、プロ制作を除き、一般ユーザが制作するPodcastは死期が近い。